中仙道ウオーキングと収穫祭 [November 2008.11.16]

 昨日は、商工会主催による、県外からお出でいただいた皆様とともに、中仙道の笠取から茂田井の間の宿、大沢酒造まで歩くイベントがあった。
関係者がボランティアで、坊さんや侍やおかっぴきに扮し、皆さんと楽しく歩き、お昼は和宮様が将軍に嫁ぐとき芦田宿で泊まった折に食べた、和宮御膳を再現したお昼だったそうだ。私は日程の都合で、終点の大沢酒造に行き皆さんと楽しく過した。ちょうど木曽地方事務所長、依田教育事務所長をはじめボランティアでそば打ちをしてくれた人たちの、巧みの技のおそばをいただき、驚きとともにとても満足だった。 皆さんご苦労様でした。
 そして今日は、立科の農ん喜村では収穫祭があった。多くのお客さんで大変賑わいがあった。牛肉でも買おうと思ったいたが、既に売れ切れであった。たいした買い物をしなかったのに、福引でお米とおそばをもらった。 ラッキー みんな頑張っていた。皆さんご苦労様でした。

 こういう人たちの、地域への情熱とボランティア精神こそが、地域を元気にする源であるとつくづく思う。

 

父の死 [November 2008.11.06]

 6月23日、父:袈裟義(89歳)が死去した。
あれから5ヶ月にもなろうとしているのに、未だに亡くなった気がしないのは何故だろうか。
7月12日に葬儀・告別式・灰寄席法要をし、8月10日に七七忌法要をし、8月13日から16日まで新盆をし、慌ただしい暑い夏が終わったと思ったら、気が抜けたような日々を過し、今日まで来てしまった。仕事に追われていればと思っては見たものの、何かが変だ。
毎朝仏壇に向かってお線香を上げると、そこには父の写真がある。しかし亡くなった気はしない。
 私の父は、戦争から帰ってきて、傷痍軍人としての生活を余儀なくされた。
まだ20代の若さで、体が弱く自分の思うような仕事も出来ずに家業の農業を少し手伝うだけだった。それでも結婚して姉と私が生れたが、自分のしたいことは出来ず、おもはゆい人生であったと思う。
父は自分のやりたいことが出来なかった思いを、子供に期待したのかもしれない。だから私には厳しく、スパルタ教育的であった。
家の土地を売却して学費を出してくれた父だった。心配ばかりしていた父だった。子煩悩な父だった。ほんとうにやさしい父だった。そんな父に何も恩返しが出来なかった。

 元気を出してやらなければ、地域の皆さんに笑われるね。